箕ノ越焼は、江戸時代の終わりに三見村中山(現、萩市)の藤田長右衛門長貞によって始められました。窯は萩城下から赤間関(現、下関市)に通ずる街道沿いの中山三ツ辻にあり、この場所を箕ノ越と呼んでいたことから箕ノ越焼と名づけられました。現在、窯跡は不明です。
作品は主に素焼の人形ですが、稀に鳥獣の置物や壁掛けなどのほか、木彫りもよくしました。現在、三見には十数体の人形が確認されています。藤田長右衛門は寛政元年(1789)ごろ中山に生まれ、人形作りに巧みであったので、街道を行く旅人たちも土産物として彼の人形を買い求めたと伝わっています。長右衛門は慶応3年(1867)に没し、惜しくもその制作は彼一代で終わってしまいました。