稔麿は高杉晋作・久坂玄瑞と共に松陰門下の三傑と称されますが、元治元年(1864)6月、京都で勃発した池田屋事変のさい、波乱に満ちた24歳の生涯を終えました。後年、維新の元勲となった品川弥二郎は、稔麿が生きていたら総理大臣になったと語ったと伝えられるほどです。しかしその名や業績は、高杉・久坂に比べて決して広く知られているとは言えません。
萩博物館には萩本陣様から寄託していただいた吉田家旧蔵史料があり、吉田稔麿(栄太郎)が萩の松本村新道に生まれて、170年の節目にあたった昨年(2011)、高杉晋作資料室にてこれらを中心に、稔麿の実像をご紹介する展示を行いました。
本年度はその集大成としての展示をします。