今年は長井雅楽(ながい うた)が土原の自宅で切腹して150年目にあたります。雅楽の名は現在あまり知られていませんが、萩藩では「知弁第一」と評される実力者でした。彼が提唱した「航海遠略策」は、明治政府の富国強兵政策にも通じる画期的な意見だったのです。
嘉永6年(1853)のペリー来航以来、開国か鎖国かで混乱が続くなか、雅楽は文久元年(1861)、「航海遠略策」と称される建白書を藩主に提出します。この意見は、朝廷(公)と幕府(武)が一致協力(公武合体)し、積極的に開国・通商を行って国力を富まし、世界に圧倒せんとするもので、藩是とされました。雅楽は朝廷・幕府の間を周旋し、一躍萩藩の名を中央で高めました。ところが、雅楽は反対派から失脚に追い込まれ、文久3年(1863)2月6日、自ら腹を切りました。
本展示では、一度は藩を代表しながらも、非業の死を遂げた幕末の先覚者長井雅楽を紹介します。