萩博物館
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特別展

海を拓いた萩の人々

〜日本漁業近代化の先駆け〜
 
 
と き

平成26年12月6日(土)〜平成27年4月5日(日)

ところ

萩博物館 企画展示室

 

 日本漁業の近代化において、トロール漁と捕鯨は重要な位置を占めましたが、その牽引者はいずれも萩・阿武地域の出身者(田村市郎、国司浩助、岡十郎)でありました。
  また、明治期に推進された韓海(朝鮮半島近海)への出漁操業においても、萩地域(鶴江浦、玉江浦)は漁業先進地として全国的に注目を集めていました。
 その後、壱岐・対馬・台湾や東シナ海などの漁場開拓でも、萩地域(三見浦、玉江浦、越ヶ浜)の漁業者は、先駆け的な活動を続けてきました。  また、役目を終えた塩田において初めてクルマエビの養殖に成功したのも萩地域出身者(藤永元作)でありました。

 この企画展では、海に恵まれた萩地域の先人たちが広く海を拓き、日本の漁業近代化に尽くしたことを再発見します。

 
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 ■主な展示品
 

125年ぶりに萩に里帰りした「山口県鱶延縄(ふかはえなわ)漁船」の雛型

明治23年(1890)市立函館博物館蔵

萩地域(鶴江浦・玉江浦)の漁業者は、江戸時代から鱶(サメ)延縄漁で朝鮮半島近海に出漁してきており、
甲板を張って浸水を防ぐ改良を施したこの地域の漁船は、明治期に全国に紹介され各地で導入が図られました。

 
 
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北海道に存在する「明治期山口県鱶延縄漁具」 

明治41年(1908)北海道大学総合博物館分館水産科学館蔵

北海道の海の開拓は、清国への輸出品となる海産物を増産するため、明治20年代から盛んに行われました。
これとほとんど同じ形状の鱶延縄は、萩市玉江浦で昭和45年(1970)頃まで用いられました。
 
 
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 ■関連する人物
岡十郎

日本近代捕鯨の先覚者   十郎 (おか じゅうろう)
【生没年】明治3年 〜 大正12年(1870〜1923)
【誕生地】阿武郡奈古村【 墓 】 萩市福井下

 明治3年(1870)、西村利右衛門の五男として生まれ、長じて明治24年(1891)に、福井下村(現萩市福井下)の岡吉輔の養子となる。明治20年には慶応義塾に学び、業を終え帰郷する際に、福沢諭吉より「郷里長門国は韓海(朝鮮半島近海)と一衣帯水の地にあり、韓海の水産業振興が緊要であり有意義である」との示唆を受けたとされる。
 岡家においては家業の酒造業を継ぎ、明治30年(1897)には県会議員に当選。その後これを辞し、明治32年(1899)に三隅村(現長門市三隅)の山田桃作とともに、仙崎(現長門市)を本拠に、捕鯨砲と汽船を導入した我が国最初の近代的捕鯨会社を創設した。この日本遠洋漁業株式会社は朝鮮半島近海での捕鯨で成果をあげ、全国の捕鯨会社と合同して事業を拡大し、日本の近代捕鯨を牽引していった。
 後に、岡の興した捕鯨会社は南氷洋捕鯨にも進出、さらに日本水産株式会社とも合併して、日本を代表する総合水産会社となった。

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国司浩助

日本トロール漁業の先駆者  国司 助 (くにし こうすけ)
【生没年】明治20年〜昭和13年(1887〜1938)
【誕生地】神戸市【 墓 】萩市北古萩町(亨徳寺)

 旧萩藩士乃美家の三男として生まれ、明治26年(1893)旧萩藩士国司家の養子となる。養父国司助十の実母は、日産コンツェルンを創設した鮎川義介の父・弥八の姉にあたる。明治37年(1904)山口中学校(現、山口高等学校)を卒業後、義介に農商務省水産講習所に入ることを勧められて入学した。
 明治41年(1908)から1年半、汽船トロール漁業の調査のため、イギリス・ドイツに留学し、帰国後の明治43年、日本水産を創業した田村市郎の命によりイギリスでトロール船湊丸の造船監督の任についた。翌明治44年、湊丸を日本まで回航するとともに、市郎の設立した田村汽船漁業部(後の日本水産)の責任者として漁業に取り組んだ。
 その後、田村汽船漁業部は共同漁業と名称が変わるが、昭和4年(1929)から翌年にかけて共同漁業と関係会社の福岡県戸畑への移転が敢行され、浩助の掲げた漁業、製氷、冷凍・冷蔵、加工、流通、通販のすべての機能が集約された総合漁港が誕生した。

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田村市郎

日本を代表する水産会社の創業者   田村 市郎 (たむら いちろう)
【生没年】慶応2〜昭和26(1866〜1951)
【誕生地】長門国萩今魚店町(萩市)【 墓 】東京都品川区(海晏寺)

 久原庄三郎の三男として生まれ、明治28年(1895)に母方の田村家を継ぐ。久原家は廻船問屋等を営んだ素封家で、父庄三郎は実業家の藤田伝三郎の実兄。久原鉱業(のちの日本漁業)を設立し、日立製作所の基礎を築いた久原房之助は、市郎の実弟。
 田村は釜山で海産物仲買や水産加工業などを営みつつ、明治41年(1908)に国産初の鋼製トロール漁船を岡十郎らとはかり建造、汽船トロール漁業の経営に乗り出す。明治44年には田村汽船漁業部を下関に設立、国司浩助らとトロール漁業を推進した。その後、これを共同漁業株式会社に改組、根拠地を戸畑に置いて事業拡大していった。
 さらに日本産業株式会社の傘下にあり南氷洋捕鯨を開始していた日本捕鯨株式会社(前身は東洋捕鯨株式会社)と合併し、昭和12年(1937)には日本水産株式会社に改組した。戦時中の水産統制令による改組を経て、戦後再び、漁獲から輸送販売、加工にわたる総合水産会社として事業を展開していった。

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藤永元作

クルマエビ養殖の先駆者  藤永 元作 (ふじなが もとさく)
【生没年】明治36年〜昭和48年(1903〜1973)
【誕生地】阿武郡萩町江向(萩市)【 墓 】 八王子市(上川霊園)、萩市北古萩町(広雲寺)

 藤永彦助の長男として萩町江向に生まれる。昭和8年(1933)東京帝国大学農学部を卒業し、共同漁業(日本水産の前身)に入社した。クルマエビの生態を研究し人工孵化に成功し、昭和18年(1943)日本農学賞を受賞した。
 戦後の昭和24年(1949)には水産庁の調査研究部長となり、アメリカ・カナダとの漁業交渉や、サケ・マスの資源をめぐるソビエト連邦との漁業交渉に尽力した。
 昭和34年(1959)水産庁を退職し、翌年、養殖会社を設立して稚エビの生産を開始した。昭和38年(1963)には瀬戸内海水産開発を設立し初代社長に就任、同年、山口県吉敷郡秋穂町(現、山口市秋穂)、ついで大分県東国東郡姫島村にも養殖場を開設し、クルマエビの養殖を推進した。また同年、長年のクルマエビ研究で紫綬褒章を授与された。
クルマエビ養殖発祥の地である山口市秋穂には、藤永元作の顕彰碑が建てられている。

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 ■チラシ、資料等
       

チラシPDFダウンロード
(約2.23M)

   
       
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       ■関連イベント
 
   ◎ギャラリートーク
12月13日(土)、1月10日(土)
2月14日(土)、3月14日(土)、3月14日(土)
14:00〜15:00

展示担当者が解説します。

参加費:無料(ただし観覧料は必要)

開始時間の5分前に企画展示室入り口にお集まりください。

       
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■開館時間 午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
■休館日 なし(年中無休、年末年始も開館)
■観覧料 大人510(410)円 高校・大学生310(240)円 小・中学生100(80)円
( )内は【団体割引】20名以上 【障がい者割引】の料金
■年間パスポート

無料
 ※年間パスポートをお持ちの方は何度でもご観覧いただけます。
 年間パスポートのご案内はこちらから

■駐車場 普通車66台 バス7台
有料(普通車:1回310円 大型車:1回1,030円)
※ただし萩市民は無料
■お問合せ
萩博物館 TEL:0838-25-6447
E-mail
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※会期や内容は変更する場合があります。ご了承ください。
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