No.27 やっと安心して住めます 萩社会館母子寮(昭和25年、堀内)



やっと安心して住めます 萩社会館母子寮(昭和25年、堀内)

 敗戦後、萩には外地から多数の引揚者が帰還してきた。萩市の人口は昭和22年(1947)には戦前の32%も増え、とくに川内地区では40%も激増。これらの人々はたちまち住む所、食べる物の確保に追われた。なかでも戦死その他で父を失った母子家庭の苦しさは格別で、22年6月から松陰神社記念館が母子寮になっていた。写真の萩社会館母子寮は3年後の25年(1950)、菊ヶ浜に新築されたばかりのものだ。篤志家の婦人を出迎えて何か寄贈を受けているのか、子どもたちもこざっぱりした服装。やっと安心して住める所ができ、一息ついた感じがうかがえる。