橋本大橋 (はしもとおおはし)

■市報はぎ 平成6年(1994)4月15日号掲載



 萩市三角州への入口橋本町と椿町をつなぐのが橋本大橋で、元和2年(1616)に初めて架けられたといわれる。長さは48間(87メートル)、幅3間半(6メートル)あり、ちょうど仮名のいろは48文字と数が同じため、いろは橋ともいわれていた。別に金谷大橋、青苔橋、銷魂橋などとも呼ばれた。橋の下を流れる橋本川は萩第一の大河で、下流では200間(360メートル)近くの川幅がある。
 百数年前の明治9年10月31日、不平士族前原党と鎮台兵との銃撃戦がこの橋をはさんで展開された。一時はすこぶる激烈を極め、そのため橋本町の町家は大部分焼失した。
 橋本大橋は、萩城下の入口にあたり、北側たもとに番所を置き交通の要衝として重要な役割を果し、洪水の際には城下の住民が総出で死守した。現在の橋は、平成5年7月に改良工事が行われて、長さ120メートル、幅11.8メートルとなった。橋は、国道262号線の道路橋で、山口小郡方面から市街地の入る玄関口となっている。
(ふるさとの橋より抜すい)