渡り口橋 (わたりぐちばし)

■市報はぎ 平成6年(1994)9月15日号掲載



 渡り口橋は新堀川に架かり、古萩町と土原とを結んでいます。この橋の付近には、むかし椿東松本への船渡しがあったので、渡り口という地名がつけられたといいます。江戸時代初めの天和元年(1681)ごろの萩城下町絵図を見ると、すでに木橋が描かれています。そのころは、渡り口辺りから唐樋町にかけて大きな入江となっていました。渡り口橋は、最初はちょうど入江の北端に架かっていたことになります。
 その後、貞享4年(1687)に萩城外堀から唐樋町まで新堀川が開削され、入江も徐々に埋め立てられていきました。こうして、渡り口橋も江戸時代の中ごろには、新堀川に架かる橋の1つとなりました。
 現在、渡り口橋は、橋げた部分はコンクリートに造り替えられていますが、欄干は江戸時代当時の石造りのままです。その橋柱には、「明和5年重修以石換土」と刻まれており、明和5年(1768)に土橋から石橋へと架け替えられたことが分かります。江戸時代の終わりごろには、新堀川には全部で8つの石橋が架けられていましたが、今では欄干が当時のままの橋は、この渡り口橋を残すのみとなりました。
 江戸時代の初めには、渡り口橋付近は「二江夜雨」といって、古萩八景の1つに数えられていました。しかし、時代を経るにつれて東側の土原は武家屋敷が建ち並び、西側の古萩町は主に竹木・薪炭を扱う商業地域として発展しました。渡り口橋の石造りの欄干は、そんな時代の変遷を刻み付けて今に伝えています。