極楽橋 (ごくらくばし)

■市報はぎ 平成6年(1994)10月15日号掲載



 極楽橋は、萩城本丸と二の丸とを区切る内堀に架かっていた木橋です。ちょうど現在指月公園の料金所のところ、萩城本丸の南正面にある桝形を伴った本丸門の前に位置していました。別名幸橋とも呼ばれ、また観音橋の名もありました。橋の長さは6間(約12メートル)、幅が2間(約4メートル)余りありました。有事の際には、敵の侵入を防ぐためすぐ落とせるように工夫されていました。橋の裏側には、「作事奉行井上源左衛門」という銘が記されていたといわれています。
 萩城は、慶長13年(1608)に完成し、文久3年(1863)に藩庁が山口に移るまでの200年有余年の間、防長両国の政治の殿堂となっていました。極楽橋は、萩藩の政治や藩主の生活の場であった本丸御殿の正面玄関への入口にあたり、藩主や藩の役人たちが荘重ないでたちで往来した往古がしのばれます。また、橋の東側の石垣上には着見矢倉が置かれ、城内の主要な門の警備を統括する機関となっていました。
 明治7年(1874)の萩城解体後は、暗渠構造の石造橋となり、眼鏡橋と呼ばれました。現在、この橋は萩城跡や指月公園を訪れる多くの観光客や行楽客の通行路となっています。橋の上からは「扇の勾配」の華麗な石垣美をもつ天守台が眺望でき、絶好の写真場所ともなっています。
(ふるさとの橋より抜すい補充)