玉江橋 (たまえばし)

■市報はぎ 平成6年(1994)12月15日号掲載



 橋本川に架かる玉江橋は、国道191号線上にあり、長門市・大津郡方面から萩市への玄関口となっています。
 江戸時代を通じてここには橋はなく、中渡しという舟渡しがありました。この舟渡しは朝晩1往復ずつで、この便を外すと近郊の住民が萩へ商売などにやって来るのに、橋本橋を経由し大回りをしなければなりませんでした。その上、風雨が烈しいときには舟が通わず、大変な不便を来していました。
 そこで、明治5年(1872)赤川玄櫟が、私費を投じて中渡しに橋を架けることを願い出ました。玄櫟は天保8年(1837)藩医品川玄良の次男として奥玉江で生まれ、藩医赤川玄成の養子となりました。文久3年(1863)下関海峡における外国船との攘夷戦では、赤間関病院総督に任ぜられ、明治元年の戊辰戦争では北陸に遠征し、官軍の軍医長となって戦傷病者の救護に奮闘しました。
 玄櫟の願いは聞き入れられ、橋は明治7年に完成しました。この結果、大津郡方面の通行は橋本橋を迂回する必要がなくなり、大いに便利になりました。初めは橋の通行料を徴収していましたが、明治27年(1894)路線が仮定県道23号線に編入されて、橋は県の管理となりました。
 その後、橋は明治45年(1912)に架け替えられ、大正13年(1924)の架け替えの際には、鉄筋コンクリート造りとなりました。さらに、昭和38年(1963)の架け替えでは幅9.5メートルとなり、昭和54年には歩行者専用道路が併設され現在に至っています。