玉澗橋 (ぎょくかんばし)

■市報はぎ 平成7年(1995)11月15日号掲載



 玉澗橋は、臨済宗大照院庭園の池の右端に架かっています。長さ約2.6メートルの一枚岩の石橋です。大照院は萩藩主毛利家の菩提寺で、明暦2年(1656)歓喜寺の後に建立されました。庭園はその時に作られ、石橋も同時に架けられたと思われます。
 実は玉澗橋は厚狭郡棚井村(現在、宇部市)の古刹臨済宗東隆寺にあったのを、萩の大照院に移築したものです。その際、東隆寺の雲庵和尚は橋を取り返そうとして萩に赴き、大照院から浜崎まで橋を運び、海路で東隆寺に持ち帰ろうとしましたが、あまりに重いのでそのままにしていたのを再び大照院に戻されてしまったということです。
 その後、明和年間(1764〜71)7代萩藩主毛利重就は玉澗橋が大照院にもたらされたという寺伝を知り、その代償として東隆寺に伝わる開基南嶺和尚の道行碑文(中国明の時代の書と篆額)を萩藩の書家草場晋水に書かせ、これを石碑に刻んで東隆寺に寄進したといいます。この石碑は今でも東隆寺の山門脇にたち、南嶺和尚道行碑文とともに山口県の文化財に指定されています。
 郷土史家河野通毅は「大照院の庭の石橋は支那から来たので、裏にはお経が彫ってあるという人がある。自分はわざわざ下に這入って見たが、何も彫ってはない」と記しています。大照院の庭園は、初春には紅梅と白梅、初夏には大ふじが咲き、梅雨にはモリアオガエルの真綿のような卵塊が産みつけられ、晩秋には紅葉が盛りとなり、季節ごとに様々な表情を見せます。そんな庭園の片すみで、玉澗橋は長い歴史を秘めてひっそりと横たわっています。