日本の近代化と萩の人びと

フランスのアール・ヌーヴォーに多大な影響
高島北海 ( たかしま ほっかい )



「栗に秋草図」下関市立美術館蔵
1885-87年(フランス留学中の作品)
●嘉永3年(1850)-昭和6年(1931)

 

 北海は嘉永3年(1850)、藩医高島良台の次男として、江向八丁に生まれました。明倫館に学び、維新後生野鉱山学校で、F.コアニエにフランス語・植物学・地質学等を学びました。
 その後農商務省に入り、明治17年(1884)にヨーロッパへ派遣され、引き続きフランスのナンシー高等森林学校に留学、同21年に帰国しました。その間、アール・ヌーヴォー・ナンシー派のエミール・ガレらに請われて日本画を描き、和風の繊細な美術様式を紹介しました。
 53歳の時に画業への専念を決意、それ以降は日本画壇において指導的役割を果しました。また、長門峡や石柱渓の名勝地指定にも尽力しています。昭和6年(1931)没、享年81歳。