雛人形 (ひなにんぎょう)

    萩の民具(11) 市報はぎ(平成3年)1991.3.1号掲載


     3月3日の桃の節句に飾る人形を、総称して雛人形という。この日に人形を飾り、桃花や菱餅(ひしもち)を供えて白酒をいただくようになったのは、江戸時代初めのこととされる。一般の家庭で雛祭りが行われるようになるのは、更に時代が下り明治時代以降のことである。
     雛人形も初めは紙製であった。後にこれが布製となり単なる人形(ひとがた)から公家(くげ)の正装の座姿へと変わる。そして江戸時代中頃より、現在見られるように、細工の細かい内裏雛(だいりびな)や調度品などが飾られるようになる。人形の姿形は、時代や地域により少しずつ異なっている。また男女雛の位置も明治時代まで現在と逆で、向って右側が男雛(おびな)、左が女雛(めびな)であった。
     全国的に見ると、3月3日は仕事を休み、野山や海川の辺りで終日過すとする所が多い。ヒナオクリとかナガシビナといって、人形などの形代(かたしろ)に穢(けが)れを負わせて水に流すとする所も少なくない。雛祭りが、必ずしも女児の誕生と成長を祝うだけの行事でないことが伺える。