蓄音機 (ちくおんき) 

    萩の民具(14) 市報はぎ(平成3年)1991.6.1号掲載


     蓄音機は、明治10年(1877)にトーマス・エジソンにより発明され、音を記憶するという意味でフォノグラフと名づけられた。初期の蓄音機では、蝋管(ろうかん 蜜蝋で包んだ円筒形の厚紙)がレコードとして使用された。現在おなじみの円盤状のレコードが開発され使用され始めるのは、蓄音機発明後10年以上経てからである。
     日本に蓄音機が始めて紹介されたのが明治時代中頃で、輸入販売が始まるのは明治時代末(約80年前)のことだとされる。萩地方においても、大正時代の初めには、既にかなりの数の蓄音機が所有されていたようである。写真の蓄音機も大正時代始めの製品で、回転盤の下の箱で音が共鳴するようになっている。
     現在萩市郷土博物館には、約500枚の古いSP盤レコードが収蔵されている。その8割が、長唄・浪曲・謡曲・義太夫節・琵琶歌・民謡などで、当時の人びとが何を好んで聞いていたかが良く分かるのではなかろうか。