田植え定規 (たうえじょうぎ) 

    萩の民具(38) 市報はぎ(平成5年)1993.6.1号掲載


      昭和四十年代の半ばに田植え機械が導入され、田植えは随分と少ない労力で行うことができるようになった。それ以前には、ユイとかテマガエといって互いに労働を交換しあったり、ソウトメ(サオトメ、早乙女、田植え人)を雇ったりして、大勢で一時期に手植えをする必要があった。
     その際用いられたのが、この田植え定規である。田の面に定規を置き、定規に付いた印に沿って苗を植え、植え終わったら定規を移動させる。この作業を、 ソウトメ達は後退しながら繰り返す。水田の広さにより、使用する定規の大きさを変えたというが、普通二〜三人が一つの定規を使用した。
     この定規で田植えをすると、稲株と稲株の間隔が均等になった。八寸(約24cm)から一尺(約30cm)の間隔で稲株が揃っているので、除草機(乞う参照92年7月号)を前後させながら草取りをするのが容易であった。田植え綱を用いた正条植えも、萩地方では行われていた。