犂 (すき) 

    萩の民具(49) 市報はぎ(平成6年)1994.5.1号掲載


     かつて二毛作で麦を作っていた頃は、麦の収穫が終わってから田の荒起こしを行っていた。荒起こしというのは、田をおおざっぱに耕す稲作の準備作業で、耕耘機やトラクターが導入されるまでは、牛馬に犂を引かせて田の土を起こしていた。
     犂は牛馬に引かせて田畑を耕す農具で、いつ頃から使用され始めたのかは分からないが、日本では奈良時代に既に使用されている。当初はカラスキとも呼ばれたようで、大陸から伝来したと考えられている。
     西日本では犂は早くから使用されていたが、東日本では一部を除き明治時代の中頃になってようやく普及する。犂を用いた牛馬耕の先進地であった福岡県や熊本県から、技術指導者が派遣されてからであった。
     萩地方では、しばしば九州の製作所で作られた犂を見ることができる。また、牛馬に左右進退を指図する言葉も、萩地方と九州各地とを比べると良く似ている。牛馬耕の先進地とは、古くから交流があったことが伺われる。