洗濯板と盥 (せんたくいたとたらい) 

    萩の民具(53) 市報はぎ(平成6年)1994.9.1号掲載


     電気洗濯機が萩地方の一般家庭に普及するのは、昭和40年代のこととされる。それ以前は、専ら洗濯板と盥(たらい)とが洗濯に用いられていた。
     洗濯板は、樫などの板の片面に波状の凹凸を施したもので、この凹凸で石鹸水に浸した衣類をもみ擦るようにして汚れを落とす。盥を前にしてしゃがみ、中に立てた洗濯板を腹部で押さえるようにしてもみ洗うが、これがなかなかの重労働であった。
     盥はトタン製や鋳物製の物も使用されたが、古くは木製の物が多かった。盥の語源は「手洗い」だといわれており、かつては、手や顔、あるいは食器を洗う器だったようである。
     大きな盥に水を満たし、もみ洗いした洗濯物を濯ぎ、絞り、そして水を流してまた満たすという作業の繰り返しには、大変な時間と労力を要していた。そのため、川などの流水を利用しての洗濯が各地で行われていた。藍場川沿いでも、20年位前までは、近所の人達が集まる洗濯場があったそうである。