番 傘 (ばんがさ) 

    萩の民具(75) 市報はぎ(平成8年)1996.7.1号掲載


     一般庶民が傘を用いるようになったのは、江戸時代の半ば以降のこととされる。それより前は、雨の中を出歩く際には、蓑と頭に被る笠とが用いられた。
     いわゆる洋傘が導入されるまでは、番傘と呼ばれる傘が、最も一般的に用いられた。番傘は、粗く削った太い骨に厚手の紙を貼り、防水のために荏油を塗った物で、丈夫で安価なのが特徴であった。番傘は番号を書いた傘の意とされる。元々は大黒屋傘と呼ばれていた。かつて商店などでは、番号や屋号を書いたこの傘を、使用人が用いたり、客に貸したりしていたという。
     傘はりは、貧乏武士の手内職の代名詞のように言われている。しかし、蛇の目傘などのように細工の細かい傘は、専門に修業した職人が製作していた。傘製作の技術は、提灯のそれと多くの部分で共通する。萩市では、両方の製作技術を習得した人もおり、戦前までは、傘製作の職人と提灯製作の職人とで、同業者組合を作っていたという。