かつて萩地方の各家庭においては、団子や麺を、ごくごく一般的に食していた。しかし最近では、団子などは一年に数回程度、盆や祭りなどの特別の機会を除いては、ほとんど食されなくなってきたという。 こね鉢は、石臼などで粉砕した穀物の粉を、水とともに練り、団子状にするために用いられた。製粉した米や小麦や蕎麦は、各家庭で、こね鉢で練って団子として食されたり、練った物を打ち延ばして麺として食されたりしていた。 このこね鉢は、コケシと同じような作り方がなされる。つまり、材料の木を轤で回転させながら、鉋と呼ばれる刃物を当てて削って作られる。その昔、木地師と呼ばれる技術者が、全国各地を渡り歩いていたとされる。彼らは、適材を入手できる土地で、それが入手できる間だけ、轤を使って木椀や盆などを作っていたという。萩地方における多数のこね鉢の存在は、当地方でのそれらの技術者の活躍と、現在とは少し異なっていた食生活とを偲ばせる。 |