糸 車 (いとぐるま) 

    萩の民具(86) 市報はぎ(平成9年)1997.8.1号掲載


     三見浦では、明治時代の終わり頃から昭和10年代半ば頃まで、壱岐対馬方面に出漁し、羽魚網漁を盛んに行っていた。羽魚とはカジキのことで、成長すると重さが300キログラムを超えるこの大型の魚を、流し刺網でとっていたという。
     漁期は9月から12月までで、出漁前には、乗組員やその家族は、網を調えることに追われた。当時の網の材料は麻で、網の仕立ては勿論のこと、網糸作りも自ら行っていた。 網糸作りは、毛髪状に細く裂いた麻の繊維を、コヨリのように撚ることから始められた。そうしてできた細く長い繊維を、糸車で撚りをかけながら合わせて太い糸にした。この作業を繰り返し、やがて子供の指ほどの太さの糸を作っていった。
     糸車は、自転車のペダル部分にあたる車と、チェーンにあたる糸と、後輪の軸にあたる紡錘(糸つむぎ)とからなっている。車を回すことで、糸で連結された紡錘が回転し、紡錘に掛けられた糸に撚りがかかる仕組みとなっている。