「素狂」の号で署名した手紙。「尾川様」という宛名から、奇兵隊士の尾川弥一郎ではないかと推測される。奇兵隊が吉田(下関市)の清水山に屯所を置いた慶応年間(1865〜1867)、山県は現在の東行庵がある場所に「無隣庵」と称する小庵を結んで起居し、「素狂」の号を用いた。尾川には「鴻城」すなわち山口から帰ったあと、「無隣庵」で待つので来てほしいと頼む。