村田清風詩碑

(平安古町 村田清風別宅跡)
  


    芳梅籬外之楹
    寒月門前之石
    昭和戌寅四月
         油渓鴻
            謹書

     平安古町満行寺筋にある村田清風別宅跡の長屋門を入ると、正面に毛利元昭の書になる「村田清風翁景仰之碑」の顕彰碑が建っている。その向かって左手に、有孔質の火成岩で造った高さ一五五センチメートル、幅一三〇センチメートルの風雅な碑を見ることができる。正面の顕彰碑裾石に刻された詩の中から、二句取り出して対句風にし直し、彫り込んだものである。
     村田清風が断行した天保の改革は、決して順調に進行したのではなく、余りにも厳しい改革に対して反対運動も激しく、役宅の門柱を切りつけたり、冷たくさえた月の夜に門前の溝の石ぶたを砕くなど、清風を排斥しようとする者も多かった。しかし、清風は身の危険を感じながらも信念を曲げず、天保の改革を推し進めていった。この対句は、その時の気持ちをよく詠み込んでいる。
     碑は昭和十三年(一九三八)四月、萩出身の軍人藤田鴻輔が揮毫し、当人が建てた。