高杉晋作歌碑

(南古萩町 高杉晋作誕生地)
  


    西へ行く人をしたひて東行く
       心の底そ神や知るらむ
        東行先生作  海園書

     歴史の道百選に選ばれた、菊屋横町にある高杉晋作旧宅の門をくぐると、正面に高さ一四八センチメートル、幅七九センチメートルの斑糲岩の石碑が東向きに建っている。
     この石碑に刻まれた歌は、晋作が文久三年(一八六三)三月、時事に関して痛感、剃髪し、西行法師にちなんで東行と号した時に詠んだものである。石碑は晋作没後満七十年の昭和十二年(一九三七)に、京都の人秋山覚治郎によって建てられた。
     作者高杉晋作は、天保十年(一八三九)萩藩大組士二〇〇石高杉春樹の長男としてここで生まれた。藩校明倫館に入り、のち松下村塾に入門。久坂玄瑞と並んで松陰門下の双璧と称された。明倫館都講を経て世子の小姓役、更に番手として江戸に派遣されているとき、幕吏に随行して上海行きを命ぜられ、帰国後尊攘運動に参加した。身分にかかわらない有志による軍事力奇兵隊を創設、以後藩の主導権を握って萩藩を討幕にふり向けたが、慶応三年(一八六七)維新の実現を見ないまま、下関で病死した。数え年二十九歳であった。