重建明倫館碑

(江向 明倫小学校)
  


     萩市の中央部、国道一九一号に面して現在は萩市立明倫小学校、山口県立萩商業高等学校、萩区検察庁、萩簡易裁判所になっているところが、藩校明倫館の広大な敷地跡である。
     南向きの正門を入ると、右手に二基の碑が建っている。向かって左側は、元文六年(一七四一)藩校創建後二十一年目に六代藩主毛利宗広によって建てられた元文碑で、明倫館設立の趣旨を書いた「明倫館記」が刻まれている。
     右側の碑は、嘉永二年(一八四九)三月二日、十三代藩主毛利敬親が新明倫館の開校を記念して、十代明倫館学頭山県太華に「重建明倫館記」を撰ばせて建てたものである。
     台石・亀趺・石碑は、元文碑とほとんど同型、同一の大きさで、高さ二三五センチメートル、幅九五センチメートルあり、石材も同質である。碑背には、建碑関係者十五人の名が刻んである。
     表の碑文には、跡に削り取られた三字の欠字がある。これがいかなる文字であったか不明であったが、後に山県太華の原稿が発見され明らかになった。すなわち「所以崇奉□□□為国家之蕃屏也」のところで、欠字は「幕命而」の三字である。「幕命を崇奉して国家の蕃屏たる所以なり」と読まれるところであるが、幕末期尊攘運動が盛んになるにつれて、その空気は藩校内部の学生達にも波及し、碑文中の文字を快しとせず、数人の学生が削り取ったのである。