村田清風翁遺愛之松碑

(今古萩町 門田家)
  


     今古萩町の門田家の門を入ると立派な庭があり、右手繁みの中に二基の碑が建っているのが目に入る。向かって左側、高さ一七〇センチメートル、幅一〇五センチメートルの自然石の碑の表に「村田清風翁遺愛之松 孫 峯次郎敬題」と彫ってあり、碑陰には「昭和六年十月 門田豊熊建之」とある。この清風遺愛の松というのは、文政五年(一八二二)村田清風が武蔵国高田八幡宮の五葉の松の若木を数十株もとめて帰り育てていたが、そのうちの二本だけが枯れなかったので、その一本を鉢に植え、十五年後の天保八年(一八三七)十月二十三日、これを親交のあった萩の豪商大玉新左衛門はここ今古萩町の別宅に植え、大切に伝えていった。
     昭和六年(一九三一)、当時の所有者門田豊熊は、この松を永遠に保存し後世にその由来を知らせようと、清風の孫村田峯次郎に頼んで松の傍らに揮毫してもらった石碑を建てたのがこの碑である。ところが昭和二十六年(一九五一)五月、新道造成のため、この松が道路の中央になって邪魔になるとのことで移植され、二年後に枯死してしまった。昭和五十五年(一九八〇)ごろ、このことを知った元三隅町長の白藤董が非常に残念に思い、三隅山荘から山口の自宅の庭に移植していた若木の松二本のうちの一本をこの碑の傍らに植樹した。その後、移植された若木もよく育ったので、昭和五十七年(一九八二)所有者の門田荘吉は白藤董に揮毫を依頼して、「村田清風翁遺愛之松二世」の碑を松の左手傍らに建てた。