吉田松陰歌碑

(大屋)
  


      なみた松のもとにて
    帰らしと思ひさためし旅なれは
     ひとしほぬるゝ涙松かな

     萩市街の南方、大屋の集落から旭 明木に向かう道がある。この道は旧街道で、藩政時代は藩主の参勤交代に利用され、また多くの旅人が通る萩・山口間の主要道であった。現在「歴史の道萩往還」として、保存整備が行われている。この道を南に進むと、曲がりくねった急坂となり、その最初の曲り角に、涙松の遺址がある。昔は並木松が相当多く立ち並んでいたが、今は数本を残すばかりである。涙松はその端にあって、萩を遠望できる最後の場所である。ここは萩を出る人・帰る人の送迎の場で、出て行く時の別れの涙、帰った時の嬉し涙、そんな数々の人間哀歓の感情が限りなくあったことであろう。その曲り角に、この和歌を彫した高さ一五五センチメートル、幅九〇センチメートルの石碑が建っている。
     歌は吉田松陰が安政六年(一八五九)五月二十五日、江戸伝馬町に護送されるにあたり、ここで門下生と最後の別れをした時に詠んだものである。それを大正三年(一九一四)九月、地元椿村青年会が明木村(現、旭)の瀧口吉良(山口県議会議長、貴族院議員などを歴任)に揮毫を頼み、石碑を建立した。