旧田中別邸
掲載日: 2009年11月30日 / 担当: 観光課

この建物は、明治9年(1876)に貧困士族救済のために夏みかん栽培を奨励した萩藩士
小幡高政(おばたたかまさ)の邸でした。邸内には「
橙園之記(とうえんのき)」と刻んだ石碑が建っていますが、これは明治22年に小幡高政が開拓時代の苦心を誌した自宅の橙園に建碑したものです。後に、
元内閣総理大臣田中義一の別邸となり、かんきつ公園内に移設され、邸内には田中義一の大将服など数々の遺品や資料が展示されています。(2002年4月オープン)
●田中義一の遺品 約200点 東京都の憲政資料館に寄託されていた、田中義一の遣品など約200点の資料が、東京都在住のご子孫から萩市に寄贈されました。 田中義一は、萩出身では4人目の総理大臣で、昭和2年から2年余りその重職にあり、堀内の素水園には、銅像も建てられています。 また、平安古にある別邸は平成10年にご子孫から萩市に寄贈されました。義一が陸軍大将時に身につけた正装上衣にはたくさんの勲章が飾られます。 
| 田中義一略歴 明治から昭和時代前期にかけての陸軍軍人、政治家。元治元年(1864)、長州藩士田中信佑の三男として生まれた。陸軍大臣などを経て、昭和2年内閣総理大臣に就任。昭和4年総辞職。同年死去。享年66歳。 
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小幡高政略歴? 文化14年(1817)吉城郡恒富村(現、山口市平川)に生まれた。郡奉行など藩の要職を歴任し、維新後は小倉県権令を勤め、萩に帰郷後、生活に苦しむ士族救済のため夏みかんの栽培を奨励し士族授産に尽くした。萩の地を日本最初の夏みかん集団栽培地とし、のち萩の主要産業とした明治初期産業功労者。明治39年没。(享年90歳) 
| 敷地は藩政時代の毛利筑前下屋敷(石高16,000)に当たります。明治以降は小幡高政により、現在の主要建物の骨格が完成されたと考えられています。その後大正後半からは総理大臣を務めた田中義一の所有となり主屋の増改築が行われ、文部大臣などを歴任した田中龍夫の没後、遺族より平成10年5月23日付けで萩市が土地と建物の寄贈を受けました。 主屋は江戸時代末頃、土蔵・表門も明治初〜前期に建設されたと考えられており、重要伝統的建造物郡保存地区(萩市平安古地区)における伝統的建造物として平成11年4月に特定されました。 
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◆開館時間 9:00〜17:00
◆観 覧 料 100円 (小学生未満は無料)
◆定 休 日 年末年始(12月29日〜1月3日)
◆駐 車 場 あり
◆周辺の観光施設
●かんきつ公園
●平安古鍵曲
●久坂玄瑞誕生地
◆お問い合せ先 萩市文化財保護課 0838-25-3131(代表)
