萩の筋名
萩の筋名マップ
おもしろ筋名で萩まち歩きマップ
筋名の由来から江戸時代の城下町を垣間見ることができます。平成19年秋に同エリアに設置された筋名埋め込みサインをたどりながら、歴史的なまちなみを楽しむことができるまち歩きマップです。
- 萩の筋名の起源や特徴などを紹介
- おもしろ筋名の由来を紹介
- 筋名から萩城下の生活を紹介
萩の筋名一覧(Google My Map)
萩三角州内外で確認されている約250の筋名をグーグルマップのマイマップ機能をつかって紹介しています。
筋名復活のとりくみ
1604年に毛利輝元により開府された萩城下町は、幕末に藩庁が山口に移るまでの260年余り、長州藩36万石の中心都市として栄えました。城下町が発達するにつれ道路網も整備され、道や小径にはその土地に因んだ筋名がつけられました。以来、萩のまちで場所を表すときは筋名が使われてきましたが、近年あまり使われなくなりました。
「江戸時代の地図がそのまま使えるまち」と言われる萩のまちで、市民が慣れ親しんだ筋名を復活することにより、萩に暮らす人々には「萩の歴史と誇り」を再認識していただき、また萩を訪れた人々には世界的遺産である萩城下町の風情や情緒を感じていただき、もって「萩まちじゅう博物館」を推進します。
萩の筋名の起こり
萩は、周防・長門両国を領有した毛利氏36万9千石の城下町として江戸時代、260年間にわたって栄えてきました。城下町は計画的につくられた都市で、町割りにあたっては、いくつかの基準となる街路をまず設定。その街路に平行、あるいは直交する形で、方角や防御・防災などを考慮し、城下町特有の街路がつくられていきました。
萩の筋名は、複雑で数多くつくられた城下町の街路を特定するために名付けられたものと思われます。
萩の筋名の特徴と由来
現在、萩三角州内に約250の筋名が確認されており、それぞれに様々な由来があります。なかでも同業の商人や職人たちが集まって住んでいた城下町らしく、職業名にちなんだものが多いのが特徴です。
◆職業にちなんだもの
檜皮町(ひわだちょう)・小道具町(こどうぐちょう)・鍛治屋町(かじやちょう)・飴屋町(あめやちょう)・紙屋町(かみやちょう)など
◆施設名にちなんだもの
水車筋(みずぐるますじ)・勘場丁(かんばのちょう)など
◆伝承にちなんだもの
猫町(ねこのちょう)・高句麗垰筋(こくりがたおすじ)・三年橋筋(さんねんばしすじ)など
筋名面白ストーリー
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