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萩・明治維新までの年表

印刷用ページを表示する 掲載日:2017年4月1日更新

萩・明治維新までの年表

元号(西暦)月 日主な出来事
文久3年
(1863年)
5月10日〔攘夷決行〕下関海峡において、アメリカの商船を砲撃する。同月23日にはフランスの通報艦、同月26日にはオランダ軍艦を砲撃する。
5月12日〔長州ファイブ密航留学〕志道聞多(井上馨)・山尾庸三・野村弥吉(井上勝)・伊藤俊輔(博文)・遠藤謹助は英国に密航留学する。
6月7日〔奇兵隊結成〕高杉晋作が奇兵隊を結成し、初代総督となる。
6月9日〔女台場築造〕菊ヶ浜に土塁の築造を命ずる。6月25日に着工し、9月1日にほぼ完成する。女台場(おなごだいば)という。
8月18日〔八月十八日の政変〕会津藩・薩摩藩を中心とした公武合体派がクーデターを起こし、長州藩は京都堺町御門警護の任を解かれ、三条実美ら七卿も罷免されて長州に走る。世にこれを七卿落ちという。
元治元年
(1864年)
6月5日〔池田屋の変〕京都池田屋の変で吉田稔麿(24歳)が死去する。
7月19日〔禁門の変〕禁門の変(蛤御門の変)が起こり、長州軍は敗れる。久坂玄瑞(25歳)、入江九一(28歳)などが戦死・自刃する。この年、松下村塾「四天王」のうち3人が死去する。
7月24日〔第1次長州出兵〕勅命が下り、幕府は長州藩追討を諸侯に命令する。
8月5日〔下関戦争〕英・米・仏・蘭の四カ国連合艦隊が下関を砲撃し、長州藩兵はこれに対して3日間にわたり応戦する。
12月16日〔晋作挙兵〕高杉晋作が下関(赤間関)で挙兵する。
元治2年
慶応元年
(1865年)
※旧歴4月7日改元
1月6日【大田・絵堂の戦い】前年に高杉晋作が下関で挙兵し、諸隊は美祢郡(現美祢市)に進軍。1月6日夜半、美祢郡中央に位置する大田や絵堂を戦場にわずか10日間で藩政府軍を打ち破った。元治の内訌ともよばれる。
3月23日〔藩論統一〕萩藩主毛利敬親は、幕府に対しては恭順を旨とするが、藩内においては富国強兵・武備の充実に努めるという、武備恭順の方針に藩論を統一する。
4月12日〔第2次長州出兵〕幕府は長州再征を命ずる。
慶応2年
(1866年)
1月21日〔薩長同盟〕木戸孝允は西郷隆盛らと会議して長州藩と薩摩藩の政治的・軍事的同盟の締結を行う。
6月7日〔四境戦争〕2月12日幕府軍は四境を包囲しようとする。毛利敬親は、諸臣に抗幕戦の準備を命ずる。6月7日幕府軍が進撃し大島口で戦いの口火が切られ、四境戦争が始まる。
慶応3年
(1867年)
4月14日〔高杉晋作没〕高杉晋作(29歳)が馬関で病死する。
12月9日〔王政復古〕江戸幕府を廃絶し、摂政・関白等の廃止と三職の設置による新政府の樹立を宣言する。
慶応4年
明治元年
(1868年)
1月3日〔戊辰戦争〕長州藩・薩摩藩を中核とした新政府軍と旧幕府軍の戦い。1月3日の鳥羽・伏見の戦いから始まり、明治2年5月18日函館戦争において旧幕府軍が降伏し終結する。
3月14日〔五箇条の御誓文〕明治天皇が示した明治政府の基本方針。
9月8日(新暦10月23日)〔明治維新〕明治天皇即位。改元の詔書が出される。