平成27年の世界遺産登録を目指して1 萩エリア・萩城下町
「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」の推薦書(暫定版)を、9月27日に政府がユネスコ世界遺産センターへ提出しました。これによって、平成27年6月頃に開催されるユネスコ世界遺産委員会で、この遺産群の世界遺産登録の可否が決定されることになります。
世界遺産登録には、市民の皆さんの協力、盛り上がりが不可欠であることから、今回から5回にわたって、萩市の資産を中心にこの遺産群を紹介します。
「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」とは
日本は、幕末からわずか半世紀の間に製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業において急速な産業化を達成し、非西欧地域で最初の産業国家としての地位を確立しました。このことは、世界史的に極めて意義のある類いまれな事象であり、この歴史的過程を時間軸に沿って示しているのが、明治日本の産業革命遺産です。
この遺産群は九州・山口を中心に8県11市に地理的に分散し、時代に沿って8つのエリアに区分され、全体で28資産あります。
1.萩エリア
萩の産業遺産群
萩エリアは時代順に1番目のエリアで、萩城下町、萩反射炉、恵美須ヶ鼻造船所跡、大板山たたら製鉄遺跡、松下村塾の5つの資産で構成されます。
萩エリアは、幕末に西洋技術を取り入れ産業化や産業文化形成の舞台となった地域の全体像と特徴をよく表しており、日本の産業化が世界トップレベルに到達したことを示しているエリア6・7・8と比べると、わずか半世紀でいかに日本の社会景観が変化したのかをみることができます。また萩エリアには産業化に関する地域の政治、行政、経済、技術、人材育成についての要素がすべて含まれており、萩の地域社会が直接の主体として産業化に取り組んだことを示しています。
(1)萩城下町
幕末に産業化を目指した地域社会を表す
萩城下町は、幕末に日本が産業化を目指した当時の地域社会における政治・行政・経済を表す資産で、資産の範囲は次の3地区です。
1.萩城跡(萩城跡の中堀の内側)は、西南雄藩の一つである萩藩の政治・行政の中心であり、産業化や西洋技術の導入についての藩の政策形成の場でした。
萩城は萩藩を治めた毛利氏の居城であり、13代藩主敬親は、萩反射炉や恵美須ヶ鼻造船所の建設を決定するなど、近代産業化のきっかけを作りました。明治7年(1874)に天守閣は解体されましたが、現在まで石垣と内堀は良好な状態で残っており、幕末の産業化開始時点における西南雄藩の政治的拠点の姿を今に伝える遺跡といえます。
2.旧上級武家地(堀内伝建地区および萩城外堀)は城跡とともに萩藩の政治・行政の中心地で、産業化等についての政策形成の場でした。
3.旧町人地(萩城城下町の大部分)は城下町やその周辺で営まれていた商業活動や小規模工業を基盤とした当時の伝統的経済の姿を示しています。
当時の城下町に高度な匠の技があったからこそ、日本の産業化が急速に進んだと考えられており、旧上級武家地や旧町人地には江戸時代の町割り、上級武家や幕末・維新の志士等の屋敷・石垣などが良好な状態で残っています。
このように萩城下町は、産業化に取り組んだ地域社会を最もよく示している遺跡であるとの価値が専門家から評価されています。
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