太刀 銘「延吉」 国指定重要文化財
(たち めい のぶよし)
鎌倉時代末期の文保(1317〜18)ごろに活躍した、大和国吉野郡龍門一派の刀工延吉の作。拵には、金梨子地に五七桐・沢瀉・菊紋の蒔絵が描かれている。6代萩藩主毛利宗広が所用した。
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吉田松陰書状
(よしだしょういんしょじょう)
安政5年(1858)12月9日、謹慎中の品川弥二郎に宛てた書状。同年12月5日、藩から松陰へ投獄の命が下った。これに対し翌日、弥二郎ら門下生6人は藩を追及したため、自宅謹慎となった。松陰は、謹慎となった門下生が勉学に励んでいるか気にかけている。 |
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小萩人形 柳橋貞子作
(こはぎにんぎょう やなぎばしていこさく)
昭和の初め、萩の女性たちの手で作られた小さな人形が起源で、萩の代表的な土産物として盛んに製作された。柳橋貞子は小萩人形の創始者松村ノブに師事し、昭和10年(1935)ごろから製作に携わった。 |
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湯沸・炉(煎茶具)
(ゆわかし・ろ(せんちゃぐ))
弘化4年(1847)萩藩士奥平佐織・浪江父子が、萩藩主毛利家の菩提寺大照院に寄進したもの。銅・錫・亜鉛の合金製の湯沸と炉には、毛利家の家紋「一に三つ星」が打ち込まれている。 |
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森 寛斎「青松海辺群鶴・翠竹巌上遊亀図」
(もり かんさい「せいしょうかいへんぐんかく・すいちくがんじょうゆうきず」)
森寛斎(1814〜94)は萩出身で、京都画壇の円山派を代表する日本画家。幕末期、京都で絵を学ぶ傍ら尊攘派志士たちと交わり、藩に登用された。維新後は画業に専念し、現在の人間国宝にあたる帝室技芸員となった。 |
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井上蘭崖「松陰遺籟(涙松)図」
(いのうえらんがい「しょういんいらい(なみだまつ)ず」)
井上蘭崖(1875〜1947)は、西日本における雪舟研究の先駆者。津和野藩の御用医師の嫡子。画家となり萩に在住した。画業のかたわら雪舟研究に没頭し、その集大成『雪舟之研究』(未公刊)を著した。 |
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