萩博物館

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特設展示室内

阿部家史料

吉田松陰自筆原稿や手紙が新たに発見されました。

 

 

と き

平成274月29日(水・祝日)〜平成2894日(日)

ところ

萩博物館 特設展示室

 

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阿部家史料

 

 萩博物館、特設展示室(「兄松陰と妹文」開催中)内において、平成27年4月29日(水・祝)から、新発見の吉田松陰自筆資料を追加展示をしています。平成28年9月4日(日)まで、展示替え(4回程度)を行いながら展示を行う予定です。

■新発見の吉田松陰自筆史料について
 このたび萩市に寄託された旧萩藩士阿部家の史料群約1,500点が調査され、その中から、吉田松陰の自筆史料68点が発見されました。また、そのうちの61点が『吉田松陰全集』に未収載であることが判明しました。
 阿部家は、松陰の実家・杉家と同じ無給通という階級の藩士です。阿部家と杉家は茶の湯などを通して交流があり、阿部家には松陰の実兄・杉民治の書簡が約70点も残っています。阿部家と杉家の親密な関係から、杉家にあった松陰の自筆史料が阿部家に移され、伝わったものと思われます。

 自筆史料は、草稿(下書き)や断簡、メモ、破損したものが多く、杉家は松陰が書いたもの、すべてを大切に保管していたと察せられ、松陰に対する杉家の温かい家族愛が感じられます。

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◆主な展示物 (平成27年9月7日〜)

オランダ文字

 

吉田松陰が書いたオランダ文字 【萩博物館寄託】
年代不明 『吉田松陰全集』未収載

 松陰のオランダ語研究は、すでに萩にいる頃から始まっており、嘉永4年(1851)江戸に遊学した際には、萩藩の東條英庵(とうじょう えいあん)や松代藩の佐久間象山(さくま しょうざん)の指導を受けた。松陰自筆のオランダ文字は、山口県文書館所蔵のものが知られているが、この史料は2例目である。オランダ語の綴りの下に、「花」や「キレイ」「考ヘキ」などの日本語訳を記している。

 

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西洋新聞

 

吉田松陰が訳した西洋新聞 【萩博物館寄託】
安政5年(1858)6月22日

 西洋新聞が、萩藩士北條源蔵(ほうじょう げんぞう)によって長崎から藩庁にもたらされた。この新聞は勝海舟(かつ かいしゅう)が訳していたが、訳文がお粗末で読むに堪えないので、松陰が自ら訳したという。松下村塾専用の400字詰原稿用紙に書かれており、原稿用紙の升目の中が新聞の訳文。「戊午幽室文稿」中の「洋言を訳す」に同様の文章があり、その草稿かと思われる。

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会計簿

 

吉田松陰が記した収支会計簿 【萩博物館寄託】
安政3年(1856)末〜安政4年(1857)年頭、安政4年盆前 『吉田松陰全集』未収載

 収支会計簿の表紙に、「大業基資」という標題が記される。大業を成し遂げる基となる資金という意味であろうか。「七生々」とは、松陰のこと。家計の収支計算もしていた松陰の几帳面な性格がしのばれる。このころ松陰は、野山獄を出て、実家杉家の幽囚室で講義をしていた。

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算盤

 

算盤(そろばん)が堪能(たんのう)だった吉田松陰をうかがわせる手紙【萩博物館寄託】
安政6年(1859)2月4日

 松陰が野山獄再入獄中に、実兄・杉梅太郎に宛てた手紙。書籍の印刷・製本代の経費算出に精細な計算を要するので算盤が必要だ、小さな算盤を送ってくれと頼んでいる。松下村塾では、九九計算なども行われていたという。松陰は、算数も得意であった。

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※公開終了※

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苛立ち

 

筆跡に気魄が感じられる野山獄中の書 【萩博物館寄託】
安政6年(1859)1月16日

  安政6年(18591月、松陰が計画した伏見要駕策が藩に受け入れられずに、松陰の苛立ちが伝わるとともに、筆跡に松陰の気魄も感じられる。伏見要駕策とは、藩主が参勤で東上する途中、その駕籠を伏見に停めて京都に入らせ、三条・大原等倒幕派の公卿と会見させるという策。

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■開館時間

午前9時〜午後5時(入館は午後430分まで)

■休館日

なし

■観覧料

大人510410)円 高校・大学生310240)円 小・中学生10080)円
※(  )内は団体(20名以上)割引および障がい者割引の料金

■年間パスポート

無料
年間パスポートをお持ちの方は何度でもご観覧いただけます。
年間パスポートのご案内はこちらから

■駐車場

普通車93台 バス8
有料(普通車:1310円 大型車:11,030円)
※萩市民は無料

■お問合せ

萩博物館 TEL:0838-25-6447
E-mail

 

会期や内容は変更する場合があります。ご了承ください。

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