No.5 建築途中の萩駅舎(椿、大正13年頃)


建築途中の萩駅舎(椿、大正13年頃)

 日本の鉄道の父・井上勝を生んだ萩だが、初めて長門三隅ー萩駅間に鉄道が開通したのは大正14年(1925)4月と遅かった。写真はその開業に向けて建設の進む萩駅舎と工事関係の人たち。萩ー東萩間は同年11月、益田まで全通して名称が山陰線になるのは実に昭和8年(1933)である。鉄道が主役をつとめたのも昭和40年代までで、54年に無人駅となった。しかし、大正建築の美しい姿をとどめる建物は平成8年(1996)、登録文化財に指定、改修されて自然と歴史の展示館になった。井上勝の鉄道一筋の生涯が紹介されている。