No.14 今は懐かしい萩特産・夏みかんの出荷(新川、昭和11年)



今は懐かしい萩特産・夏みかんの出荷(新川、昭和11年)

 竹の橙かごに詰められた黄色い夏みかんが、大八車や馬車につまれて運ばれていく。かつての萩で春から初夏にかけて見かける、何となく嬉しくなる光景だった。写真は東萩駅らしい。すでに貨車がとまっていて、出荷される橙が次々と大八車で着いている。萩の夏みかんは明治10年代の初め、小幡高政が貧困士族救済のために栽培を始め、たちまち全市に広がった。同20年(1887)ごろから戦後の昭和30年(1955)ごろまでのほぼ70年間、萩の経済を支える主力産業だった。石碑「橙園之記」が建つ旧小幡邸は先頃、前所有者の故田中龍夫氏の遺族から市へ寄贈された。