No.37 相島でのへき地教育研究会へ向かう教師たち(昭和35年、浜崎)




相島でのへき地教育研究会へ向かう教師たち(昭和35年、浜崎)

 この年、1960年11月7日、相島の相島小中学校(当時)で山口県へき地教育研究会が開かれた。これより6年前の昭和29年にへき地教育振興法が出来ていた。相島は浜崎港から北西14ワの沖にある。写真は同港から島行きの船に乗り込もうとしている先生たち。ロングコートのさっそうとした女性教師の姿が印象的だ。前の年市長に就任した菊屋嘉十郎も研究会に出席したという。1960年は安保闘争や三井三池争議など騒がしい年だったが、高度経済成長のただ中にあって国全体に活気がみなぎっていた。相島は名物スイカやタバコ、イモ、タマネギを産出して今も元気である。なお、離島航路の船着場は現在よりずっと南、今の渡し場あたりだった。