児玉花外詩碑

(堀内 萩城跡)
  


    三百年の萩の花
    一たび揺れて血の勝利
    昭和十一年盛夏  花外書

     萩城跡の内堀を渡り、志都岐山神社の鳥居をくぐると右側に、この詩を彫った高さ一七〇センチメートル、幅八〇センチメートルの自然石の石碑が建っている。
     この詩は東京遊学中の山口県出身学生の親睦団体であった防長学生連盟が、昭和二年(一九二七)に山口県ゆかりの詩人児玉花外に依頼し作詩してもらった団歌の冒頭の句である。同年十一月六日、東京芝高輪の毛利邸で初めて公演された。
     のち昭和十二年(1937)王政復古七十周年を記念して、萩文芸協会が建立したものである。
     作者児玉花外は本名を伝八といい、京都で生まれた。同志社をはじめ、札幌農学校・東京専門学校などに入学したが、いずれも中退した。その後詩人として名声が高まり、大正十三年(一九二四)初めて父の故郷長門深川を訪れ、下関・山口・萩など維新の志士ゆかりの地を遊歴して、故郷を詠んだ。
     熱血詩人として明治大学校歌「白雲にたなびく駿河台」の作詩者としても著名である。昭和十一年(一九三六)九月二十日、東京で数え年七十歳で没した。