前田孫右衛門碑

(堀内 萩城跡)
  


     萩城跡の内堀を渡り、志都岐山神社参道の大鳥居をくぐると、右手木立の中の組石垣上に高さ二三〇センチメートル、幅一二〇センチメートルの自然石の石碑が立っている。
     碑の上部には毛利元昭の篆額で「贈正四位前田君碑」と書かれ、その下に前田孫右衛門の追慕の文章が刻されている。
     大正五年(一九一六)三月、孫右衛門が没して五十三年になるので、孫の前田済三と孫右衛門の外孫にあたる井上清介が撰し、安藤紀一が書した。
     前田孫右衛門は、萩藩士(百七十三石)として若年の時藩校明倫館に学んだ。寛容で文雅の嗜みがあり、同輩からは長者と称され、吉田松陰からも尊敬された。当職手元役・当職用談役・直目付等藩の要路にあって藩主の信頼が篤く、よく献策した。安政五年(一八五八)、吉田松陰が間部老中要撃を策したとき、藩の首脳部の中でこれを是認したのは彼だけであった。
     第一次長州征伐を前にして藩政府の実権を恭順派が握ったため、元治元年(一八六四)野山獄に投ぜられて享年四十七歳で刑死した。