村田清風詩碑

(平安古町 村田清風別宅跡)
  


     旧萩城三の丸と外堀を隔てた平安古町満行寺筋に、村田清風別宅跡がある。ここは村田清風が藩政に携わっていた二十五年間、起居していた屋敷である。現在本邸の家屋は老朽のため解体され、三百坪の跡地と道路に面して十四坪の長屋門のみが残っている。その門を入ると正面に毛利元昭の書した清風顕彰碑が建っており、その裾石の中にこの詩を刻した高さ九〇センチメートル、幅一三〇センチメートルの山型の自然石が配されている。
     作者村田清風は、萩藩の九代藩主毛利斉房から十三代藩主敬親まで、五代の藩主に仕えた経済官僚で、藩政の要職に抜擢され、広い度量と強い意志に加えて、優れた才能と政治的手腕によって藩財政の建て直しを行った。特に天保の改革では、民政・兵政の刷新、文武の奨励などに尽力して、萩藩が雄藩として明治維新に大活躍する基礎を築いた。
     この詩は「巳亥孟春偶成」と題されており、天保十年(一八三九)清風五十七歳の時の作である。切ない胸の内をうたった清風漢詩中の傑作の一つである。
     晩年再び召されて国務に参与したが、その年三隅山荘にて没した。享年七十三歳、維新回天の大業も間近な安政二年(一八五五)五月のことであった。