吉田松陰先生講学の跡碑

(江向 明倫小学校)
  


     明倫小学校東門を入り西に真っすぐ進むと、水練池にあたる。その途中右手に、高さ三二〇センチメートル、幅一一〇センチメートルの石碑が建っている。表面に「吉田松陰先生講学之跡 山口県知事 小沢太郎書」、裏面には「松陰先生百年祭に当たり昭和三十三年十月建てる 萩市 村井朝一」と刻んである。松陰没後百年記念事業の一つとして、時の県知事小沢太郎に書を依頼し、明倫小学校が建てたものである。
     藩校時代、この場所に兵学の教場があった。平面図によれば、北側の門を入ると左側に独立家屋の両便所があり、その前を通って左右二か所に、出入口となる土間があり、その段を上がると三十二畳敷の兵学教室になっている。
     吉田松陰は兵学師範として十歳の時から二十歳まで十年間、萩城三の丸にあった明倫館に出仕したが、ここ江向の新明倫館になってからも二十二歳まで二年間、この教場で教えた。
     益田親施(萩藩家老)や桂小五郎(後の木戸孝允)も、兵学の門下生としてこの教場で松陰に学んでいる。