練兵場碑

(江向 萩区検察庁)
  


     米屋町下り筋を通ると、検察庁前庭の樹立の間に玄武岩の台石の上に載せられた安山岩(萩地方に産する赤ボ石と同質)の高さ一七〇センチメートル、幅五〇センチメートルの石碑が建っている。表面の達筆に書かれた「練兵場」の三文字は彫りも深く、萩にある石碑の文字としては最大級のものに属し、気迫に満ち誠に雄渾である。筆者の名はないが、おそらく当時明倫館書道師範であった草場真蔵の書と思われる。
     この石碑は藩政時代の明倫館差図や八江萩名所図画にも描かれており、当時から同所に建てられていたものであることがわかる。現在は検察庁の新改築に伴い、二度ほど少し右に移された位置にある。
     練兵場は藩校明倫館内の西北端に位置し、三千坪の広さを持っていた。中央に広大な広場を設け、その西に正門をはさんで稽古場と器械方役所の建物があり、南には周発台稽古場、御覧所等があった。東方には石垣の射的が造られており、的場に向かって小銃を撃ち、大砲の操作は形だけを教えていた。
     練兵場の教育は、明治維新に際し結果的には萩蕃が討幕戦に活躍する軍事的基礎を養うことになるのであって、その歴史的意義は、この練兵場跡に残された石碑によって語ることができる貴重な遺跡である。