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河上弥市碑 ![]() (北古萩町 長寿寺) | ||
萩市外の米屋町筋を北に突き当たった所に、広大な敷地を有する長寿寺がある。正面の山門右手の脇門を入ると目の前に不動堂があり、その前を左手に石畳を進むと十メートルほどで本堂正面に達する。さらに本堂の左手鐘楼の下を通り抜けできる通路があり、寺の裏道に出る。通称この寺が、抜け寺といわれている由縁である。 その鐘楼の手前、東向きに高さ一八五センチメートル、幅一〇五センチメートルの石碑が建っている。 碑は花崗岩の切石で、「河上繁義君碑銘」と題し、河上弥市の二従兄弟にあたる山田顕義が、明治二十二年(一八八九)撰し、岡守節が書したものである。 碑の左手前に河上弥市の小さな墳があるので、それに対しての弔祭の碑と思われる。 ![]() |