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天保6年〜大正4年(1835〜1915)
 幕末の志士、明治時代の政治家。井上光亨の次男として周防国(すおうのくに)吉敷郡(よしきぐん)湯田村(ゆだむら)(山口市)に生まれた。通称は聞多(ぶんた)。のちに志道(しじ)家の養子となった。
 文久3年(1863)姓を井上に戻して英国へ密航留学し、帰国後は倒幕運動に奔走した。
 維新後は明治政府の参与(さんよ)となり、明治12年(1879)外務卿となって欧化政策を進め、鹿鳴館時代を現出した。明治18年(1885)第一次伊藤内閣の外務大臣となり、内務・大蔵大臣などの要職を歴任。晩年は元老に任ぜられ、実業界にも尽力(じんりょく)した。
 
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