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天保8年〜大正6年(1837〜1917)
 明治時代の工部官僚。山尾忠治郎(ちゅうじろう)の三男として周防国(すおうのくに)吉敷郡(よしきぐん)二島村(ふたじまむら)(山口市)に生まれた。
 文久元年(1861)幕府貿易船でロシア領沿海州に渡海後、箱館(函館)で洋書を学んだ。文久3年(1863)英国へ密航留学して造船技術を学び、明治元年(1868)帰国した。
 明治新政府に仕官して工部大学校(東京大学工学部の前身)や盲唖学校の設立に尽力し、同13年に工部卿となった。また日本工学会の会長を36年間つとめ、わが国の工業・工学発展の基礎を築いた。
 
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