桂太郎翁没後100年記念
桂太郎と萩─古写真でたどる桂太郎─
萩博物館では今年度、高杉晋作資料室での奇兵隊結成150年を記念するテーマ展示のほかに、エントランスホールにおいて時節に応じた年2回程度の小展示を予定しています。 第2回目となる今回の展示は、桂太郎翁没後100年を記念し、「桂太郎と萩─古写真でたどる桂太郎─」と題して、「大頭」として知られた桂太郎翁が用いた陸軍大将帽を展示し、翁の青年時代から晩年までを古写真でたどります。また、萩市内の翁ゆかりの地も写真で紹介します。
桂太郎(1847-1913)
萩藩士桂家の長男に生まれ、藩校明倫館に学び14歳のとき藩の洋式銃陣に加わり、長州戦争(四境戦争)に従軍、戊辰戦争では東北・北陸方面を転戦した。明治3年(1870)兵制研究のためドイツへ留学、帰国後、山県有朋のもとで近代軍制を整備した。明治31年(1898)第3次伊藤博文内閣の陸軍大臣、同34年には内閣総理大臣となり日英同盟を締結し、日露戦争を遂行した。3度内閣を組織し、首相在任2886日は通算での最長記録となっている。台湾協会学校(現、拓殖大学)を創設し、初代校長として後進育成にもあたった。大正デモクラシーによる第一次憲政擁護運動の活発化に対抗して、新政党の組織化を図り、大正2年(1913)2月、立憲同志会の創立委員長となったが、同年10月、立憲同志会の結党を見ずに死去した。享年67歳。
・桂太郎が用いた陸軍大将帽(前半展示) ・桂太郎が洋行に用いた帽子(後半展示) ・桂太郎書簡(山根正次宛、複製)、桂太郎書簡(杉民治宛、複製) ・戊辰戦争時代の桂太郎、ドイツ留学時代の桂太郎、第一次内閣総理大臣時代の桂太郎、桂太郎帰郷記念、妻桂加奈子、愛人安藤照子、新築工事中の桂太郎邸宅など、古写真17点
普通車66台 バス8台 ※普通車1回300円、大型車1回1,000円、ただし萩市民は無料です。
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