ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
ホーム > ふるさと便り > キリシタンの道 隠れキリシタンの歴史を感じながら・・・

キリシタンの道 隠れキリシタンの歴史を感じながら・・・

印刷用ページを表示する 掲載日:2007年7月6日更新
 紫福地区には、隠れキリシタンの遺物が各所に点在しています。
 1549年、フランシスコ・ザビエルがキリスト教を布教するため来日。山口を治めた大内氏はキリシタンを保護し、多くの人たちが信徒になりました。しかし毛利氏の時代になると、幕府のキリシタン禁止令を受け、宣教師を追放するなどキリスト教にとって厳しい時代となり、信徒たちは山口の仁保周辺から、紫福の山中に移り住んだといわれています。以来、信徒たちはキリストの教えを守り、至福のときを待ちながらひっそりと生活しました。
 紫福の地名の由来については、至福がなまって「シブキ」になったという説もあります。
 「キリシタン祈念地 至福の里」は、長い間風雪にさらされ放置されていたキリシタンの墓を集め、地元中山地区の協力を得て、1999年に整備された祈念地です。
 仏光寺や長久寺には、約50cm高さの祠(ほこら)形のお墓があります。その正面中央の窓から中を覗くと、合掌した穏やかな顔立ちの人が見えます。弾圧を逃れるため目立たない方法で信仰した当時が忍ばれます。他にも伴天連(バテレン)の墓(六角形の墓石、宣教師の墓といわれる)、マリア観音や十字を象(かたど)った家紋が伝わっています。

キリシタン祈念地
キリシタン祈念地

伴天連の墓
伴天連の墓(鉄心寺跡)