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萩で一番古い3億年前の大地・半田台

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年7月10日更新

萩の大地の骨組みは3億年前にできた

約3億年以上前、現在の萩からはるか南方の海底で、火山が噴火し、海洋プレートの上に、ハワイのような玄武岩の火山島ができました。海洋プレートにできたマグマの出口は、プレートの移動に伴い、ホットスポットと呼ばれるマグマの供給源から離れていき、火山の噴火が終わります。できた島の上部は侵食されて、海面下に沈み、海山となりました。暖かい南の海では、海山の上にサンゴ礁が発達。サンゴ礁が岩石となったものが石灰岩です。 また、海底には、放散虫(ほうさんちゅう、プランクトンの一種)の遺骸が堆積しました。放散虫の遺骸が1mm堆積するには、1000年以上かかります。その後、長い年月をかけ、放散虫の遺骸はチャートという火打石に使われる堅い岩石になりました。 石灰岩、チャート、玄武岩は約2億5000万年前、海洋プレートの移動でアジア大陸近くまで運ばれ、海溝に落ち込みました。海溝の中のチャートや石灰岩の破片は、複雑な過程を経て地表に現れました。 同じ時期にできた大地のひとつが、秋吉台です。石灰岩の台地が広がり、ドリーネと呼ばれるくぼ地が点在し、地下には、秋芳洞などの鍾乳洞が発達しています。

萩の石灰岩台地・半田

同じ時期にできた大地のひとつが、秋吉台です。石灰岩の台地が広がり、ドリーネと呼ばれるくぼ地が点在し、地下には、秋芳洞などの鍾乳洞が発達しています。萩の石灰岩台地・半田 規模は小さいながら、福井上半田は、昭和7年(1932)に吉田初三郎によって描かれた図屏風「名勝萩と長門峡之図」(複製品が萩博物館エントランスに展示)に、石灰山として紹介されています。 この屏風には当時の観光地が描かれており、半田台の鍾乳洞として、観音窟、佐々連洞が描かれています。かつては観光洞として入洞していた時期もありましたが、鍾乳石の盗掘や導入路の荒廃が進み、現在は立ち入りできません。また、半田地区の地名には「大久保」「宮ヶ久保」といったドリーネ( くぼ.地)の存在を推測させるものもあります。 なお、小規模な石灰岩やチャートを見ることができる場所は川上、旭、須佐地域などにもあります。
半田石灰岩