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文とゆかりの地 3 松下村塾

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年2月9日更新

松下村塾 松下村塾は、木造平屋建切妻造瓦葺50.90平方メートルの小舎で、当初からあった8畳の1室と、後に増築した10畳半の部分とからなっています。
 初めは吉田松陰の叔父玉木文之進が自宅で私塾を開き、松下村塾と名付けていました。ついで久保五郎左衛門がその名を継承し、子弟の教育にあたりました。その後、松陰がこれを継ぎ、主宰することになりました。
 松陰は安政3年(1856)3月、杉家の幽囚室で近隣の子弟たちを相手に講義を始めました。これが事実上の松陰主宰の松下村塾の始まりです。ところが、やがて入門者が続出して幽囚室では手狭になったため、安政4年11月、杉家の宅地内にあった小屋を修理して8畳1間の塾舎とします。さらに塾生が増えたため、安政5年3月、10畳半の部屋を建て増しし、現存する塾舎の姿になりました。
 安政5年7月、松陰は藩から家学教育の許可を得て名実ともに松下村塾の主宰者となりましたが同年11月29日、再び一室に幽囚され、続いて再入獄の身となりました。
 この松下村塾は、松陰の野山獄出獄から再入獄までの3年間のうち、最後の1年間門弟に接して指導・激励した場所でした。(参考「萩市の文化財」)松下村塾内部

〔松下村塾〕

松陰神社配置マップ・国指定史跡(大正11年10月12日指定)
・所有者 宗教法人 松陰神社
・所在地 萩市大字椿東
・指定面積 155.37平方メートル
・アクセス 萩循環まぁーるバス(東回りコース)「松陰神社前」バス停から徒歩1分
・駐車場 境内と松陰神社前交通広場に無料駐車場