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文とゆかりの地 6 野山獄・岩倉獄跡

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年2月9日更新

野山獄 正保2年(1645)9月17日、藩士岩倉孫兵衛(大組200石)が酒に狂って、道を隔てた西隣の藩士野山六右衛門(大組200石)の宅に切り込み家族を殺傷するという事件を起こしました。このため岩倉は斬首の刑に処され、両家とも取り潰しとなり、屋敷は没収されました。
 その後、藩は屋敷を獄としますが、野山獄(写真上)を上牢として士分の者を収容し、岩倉獄(写真下)は下牢として庶民を収容することになりました。
 幕末、吉田松陰は海外渡航に失敗したのち野山獄へ、従者だった金子重之助は岩倉獄へ投ぜられました。そして、松陰はそこで仲間の囚人たちに孟子の講義をするとともに自らも俳諧や書を学びました。また、獄吏さえ廊下で松陰の講義に耳を傾けたといわれており、前例のない教育活動を行いました。
 野山獄には文久・元治年間(1861~64)、高杉晋作や楫取素彦ら多くの志士も入牢し、また十一烈士など尊王攘夷派だけでなく、保守派の坪井九右衛門や椋梨藤太など、多くの人が処刑されたところでもあります。
 現在、敷地の一部を保存して記念碑などが建てられており、萩藩の波乱に富んだ維新当時を偲ぶことができる、貴重な史跡となっています。(参考「萩市の文化財」)岩倉獄跡

〔野山獄・岩倉獄跡〕

野山獄・岩倉獄マップ・市指定史跡(昭和48年7月31日指定)
・管理団体 萩市
・所在地 萩市大字今古萩町
・指定面積 128.91平方メートル
・アクセス 萩循環まぁーるバス(東回りコース)「野山獄跡入口」バス停から徒歩1分、(西回りコース)「萩グランドホテル天空前」バス停から徒歩3分