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第9話「高杉晋作 参上」キーワード

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年3月5日更新

高杉晋作が披露した詩

 ドラマで松陰の前で披露した詩。

  誰道天工勝人作 不知人作勝天工
  萬尋富嶽千秋雪 却在斯翁一掌中

 誰か道(い)う天工は人作に勝ると 知らずや人作は天工に勝るを 万尋(ばんじん)の富岳 千秋の雪 却って斯翁(しおう)の一掌中(いちしょうちゅう)にあり

 題は、「題不二石(不二石に題す)」という晋作の自作の漢詩で、「天の技は人の技に勝ると誰かがいう。人の技が天の技に勝るのを知らないのか。非常に高い富士山に永く降り積もった雪も、私(斯翁は自分のことを指す)の掌の中にある」というような意味で、晋作らしい壮大なスケールです。
不二石とは、庭園等に配置される観賞用の富士山を模した立石のことです。実際は、入門時頃に詠まれたものではなく、それより後の作と思われます。

久坂と高杉を競わせる松陰

高杉晋作立志像 ドラマでは、「つまらん」とばかりつぶやいていた高杉晋作が、罪人の塾とはどんなものかと松下村塾を訪ね、自作の詩(下記)を披露しますが、松陰は「以前に久坂君が披露してくれた詩、あれは実に素晴らしかった」「学問も詩も武士のあなたより医者の久坂君のほうが優れているようですね、実にもったいない」と玄瑞を褒めたたえ、晋作にけしかけます。
 安政元年(1854)2月、晋作は藩の要職につく父小忠太に従い江戸に上がっており、2度目のペリー来航、日米和親条約締結など身近に接しています。藩校明倫館に学ぶ晋作でしたが、安政4年(1857)の後半、19歳で松下村塾に入塾。松陰は晋作を発奮させるため、わざと目の前で玄瑞を褒め称え、勝ち気な晋作の自尊心をくすぐったようです。晋作は玄瑞に負けたくない一心で学問に力を入れ、やがて玄瑞と共に、松陰門下の「双璧」、「竜虎」と呼ばれるまでになります。