幕末維新の群像2
幕末志士たちの手紙展
山根正次コレクション
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差出人一覧
名前
ふりがな
あ
青木 周蔵
あおき しゅうぞう
伊藤 博文
いとう ひろぶみ
井上 馨
いのうえ かおる
岩倉 具視
いわくら ともみ
か
桂 太郎
かつら たろう
木戸 孝允
きど たかよし
久坂 玄瑞
くさか げんずい
後藤 象二郎
ごとう しょうじろう
近衛 篤麿
このえ あつまろ
さ
佐久間 象山
さくま しょうざん
三条 実美
さんじょう さねとみ
穴戸 九郎兵衛
ししど くろうべえ
宍戸 タマキ
※
ししど たまき
白根 専一
しらね せんいち
周布 政之助
すう まさのすけ
末松 謙澄
すえまつ けんちょう
杉 孫七郎
すぎ まごしちろう
曾禰 荒助
そね あらすけ
名前
ふりがな
た
高杉 晋作
たかすぎ しんさく
田中 光顕
たなか みつあき
寺内 正毅
てらうち まさたけ
寺島 忠三郎
てらしま ちゅうざぶろう
な
長井 雅楽
ながい うた
中村 九郎
なかむら くろう
野村 素介
のむら もとすけ
野村 靖
のむら やすし
は
林 子平
はやし しへい
土方 久元
ひじかた ひさもと
藤田 幽谷
ふじた ゆうこく
ま
松方 正義
まつかた まさよし
皆川 淇園
みながわ きえん
毛利 登人
もうり のぼる
や
山県 有朋
やまがた ありとも
山県 伊三郎
やまがた いさぶろう
山田 顕義
やまだ あきよし
吉田 松陰
よしだ しょういん
ら
頼 山陽
らい さんよう
※タマキは[王幾]
青木 周蔵
【
あおき しゅうぞう
】
弘化元年〜大正3年(1844〜1914)
明治時代の外交官・政治家。長門国厚狭郡小埴生村(山陽小野田市)生まれ。明治維新後にプロシア(ドイツ)へ留学。外務大臣・駐英公使などとして不平等条約の改正交渉に尽力した。
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伊藤 博文
【
いとう ひろぶみ
】
天保12年〜明治42年(1841〜1909)
幕末の長州藩下級武士、明治時代の政治家。周防国熊毛郡束荷村(光市)生まれ。名は博文。通称は利助・俊輔。松下村塾に学び、英国密航留学を経て倒幕運動に奔走。初代内閣総理大臣となり、明治憲法の制定に尽力した。
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井上 馨
【
いのうえ かおる
】
天保6年〜大正4年(1835〜1915)
幕末の長州藩士、明治時代の政治家。周防国吉敷郡湯田村(山口市)生まれ。名は惟精。通称は聞多。明倫館に学び、英国密航留学を経て倒幕運動に奔走。明治政府では欧化政策を進め、初代の外務大臣、大蔵大臣などを歴任した。
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岩倉 具視
【
いわくら ともみ
】
文政8年〜明治16年(1825〜1883)
幕末の公卿、明治時代の政治家。京都生まれ。公武合体のため和宮降下を推進。幽閉生活を経て、大久保利通と王政復古を画策した。明治維新後は岩倉使節団の特命全権大使などをつとめた。
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桂 太郎
【
かつら たろう
】
弘化4年〜大正2年(1847〜1913)
明治時代の軍人、政治家。萩生まれ。戊辰戦争で東北・北陸を転戦。明治維新後にドイツへ留学し、山県有朋のもとで近代軍制を整備。内閣総理大臣となり、3次内閣を組閣。通算での首相在任最長記録をもつ。陸軍大将。
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木戸 孝允
【
きど たかよし
】
天保4年〜明治10年(1833〜1877)
幕末の長州藩士、明治時代の政治家。萩生まれ。もと桂小五郎と称した。吉田松陰に学び、江戸や京都で諸藩の志士と交流。薩長同盟を締結し、倒幕に尽力した。明治維新後は中央集権国家の樹立に貢献した。
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久坂 玄瑞
【
くさか げんずい
】
天保11年〜元治元年(1840〜1864)
幕末の長州藩士。萩生まれ。名は通武。字は玄瑞。通称は誠・義助。松下村塾の「双璧」の一人。尊攘派の要として京都に志士を結集。薩摩・会津両藩の公武合体派により追放され、禁門の変により自刃した。
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後藤 象二郎
【
ごとう しょうじろう
】
天保9年〜明治30年(1838〜1897)
幕末の土佐藩士、明治時代の政治家。高知生まれ。坂本龍馬の協力を得、大政奉還実現のため尽力。明治政府では征韓論争に敗れて辞職し、自由党設立に参加。のちに逓信大臣などを歴任した。
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近衛 篤麿
【
このえ あつまろ
】
文久3年〜明治37年(1863〜1904)
明治時代の政治家。京都生まれ。首相近衛文麿の父。ドイツ留学後、貴族院議員となり、藩閥政府には批判的態度をとった。のちに学習院長となって華族の子弟の教育に力を注ぎ、貴族院議長もつとめた。
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佐久間 象山
【
さくま しょうざん
】
文化8年〜元治元年(1811〜1864)
幕末の洋学者。信濃国松代(長野市)生まれ。通称は啓之助・修理。号は象山で「ぞうざん」とも読む。海外事情を研究し、洋式砲術を修める。吉田松陰や勝海舟ら多くの人材を育て、いち早く開国論を唱えた。
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三条 実美
【
さんじょう さねとみ
】
天保8年〜明治24年(1837〜1891)
幕末の公卿、明治時代の政治家。京都生まれ。長州の志士と組んだ宮中きっての尊攘派。公武合体派の画策により失脚し長州に逃れた(七卿落ち)。明治維新後は政府最高位の太政大臣をつとめた。
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穴戸 九郎兵衛
【
ししど くろうべえ
】
文化元年〜元治元年(1804〜1864)
幕末の長州藩士。萩生まれ。通称は九郎兵衛・左馬之介。長州藩尊攘派が追放されたあとの京都留守居役をつとめた。禁門の変後、恭順派政府により処刑された「甲子殉難十一烈士」の一人。
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宍戸 タマキ
【
ししど たまき
】
文政12年〜明治34年(1829〜1901)
幕末の長州藩士、明治時代の政治家。萩生まれ。もと山県半蔵と称した。藩主世子毛利元徳のもとで政務に参与。明治維新後は司法大輔、文部大輔、貴族院議員などを歴任した。
※タマキは「王幾」
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白根 専一
【
しらね せんいち
】
嘉永2年〜明治31年(1849〜1898)
明治時代の政治家。萩生まれ。慶応義塾に学び、明治政府に出仕した。愛媛県知事、愛知県知事などを経て山県有朋内閣の内務次官に就任。のちに逓信大臣となり、互選により貴族院議員となった。
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周布 政之助
【
すう まさのすけ
】
文政6年〜元治元年(1823〜1864)
幕末の長州藩士。萩生まれ。姓の周布は「すふ」とも読む。村田清風の改革思想を発展させ、攘夷を振りかざしつつ来るべき開国の時代に備えた。禁門の変により長州藩が朝敵となったことに責任を感じ自刃した。
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末松 謙澄
【
すえまつ けんちょう
】
安政2年〜大正9年(1855〜1920)
明治・大正時代の政治家。福岡県生まれ。伊藤博文の娘婿。新聞記者を経て伊藤の知遇を得、在英公使館書記に就任。その後、衆議院議員に当選し、逓信大臣・内務大臣などを歴任した。主著『防長回天史』。
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杉 孫七郎
【
すぎ まごしちろう
】
天保6年〜大正9年(1835〜1920)
幕末の長州藩士、明治時代の政治家。周防国吉敷郡御堀村(山口市)生まれ。幕府の遣欧使節に参加。藩の重職を担い、四境戦争(幕長戦争)、戊辰戦争に活躍。明治維新後は宮内大輔、特命全権公使などを歴任した。
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曾禰 荒助
【
そね あらすけ
】
嘉永2年〜明治43年(1849〜1910)
明治時代の政治家。萩生まれ。藩校明倫館に学び、戊辰戦争に従軍。明治初年フランスに留学後、陸軍省を経て太政官に転じ、初代衆議院書記官長となった。その後、司法大臣・大蔵大臣などを歴任した。
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高杉 晋作
【
たかすぎ しんさく
】
天保10年〜慶応3年(1839〜1867)
幕末の長州藩士。萩生まれ。名は春風。字は暢夫。通称は晋作。松下村塾の「双璧」の一人。奇兵隊の創設者。下関に挙兵し、恭順派政府を破って藩是を統一。四境戦争(幕長戦争)で幕府軍を各所に破った。
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田中 光顕
【
たなか みつあき
】
天保14年〜昭和14年(1843〜1939)
幕末の土佐藩下級武士、明治・大正時代の政治家。土佐国高岡郡佐川(高知県佐川町)生まれ。土佐勤王党に参加し、のちに脱藩して薩長同盟の成立に尽力した。明治維新後は陸軍少将・警視総監などを経て宮内大臣となった。
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寺内 正毅
【
てらうち まさたけ
】
嘉永5年〜大正8年(1852〜1919)
明治・大正時代の軍人・政治家。周防国吉敷郡平井村(山口市)生まれ。西南戦争に従軍。陸軍大臣、初代朝鮮総督などを歴任し、桂太郎につぐ長州軍閥の巨頭として内閣総理大臣となった。陸軍大将・元帥。
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寺島 忠三郎
【
てらしま ちゅうざぶろう
】
天保14年〜元治元年(1843〜1864)
幕末の長州藩士。周防国熊毛郡高水村(周南市)生まれ。松下村塾に学び、尊王攘夷運動に奔走。尊攘派が追放されたあと、京都に潜伏して情報収集にあたったが、禁門の変により自刃した。
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長井
雅楽
【
ながい うた
】
文政2年〜文久3年(1819〜1863)
幕末の長州藩士。萩生まれ。名は時庸。通称は隼人・雅楽。藩の直目付役に昇進。「航海遠略策」と称される開国・公武合体論をもって朝廷と幕府の間を周旋したが、久坂玄瑞ら尊王攘夷派の反対にあい失脚した。
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中村 九郎
【
なかむら くろう
】
文政11年〜元治元年(1828〜1864)
幕末の長州藩士。萩生まれ。名は清旭。通称は道太郎・九郎。吉田松陰との交流が深く、京都で諸藩士とも交わった。政務座に昇進して周布政之助を援けた。禁門の変後、恭順派政府により処刑された「甲子殉難十一烈士」の一人。
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野村 素介
【
のむら もとすけ
】
天保13年〜昭和2年(1842〜1927)
幕末の長州藩士、明治時代の政治家。周防国吉敷郡長野村(山口市)生まれ。名は素介。号は素軒。明倫館に学び、維新前後の藩政中枢を担った。欧州視察後、文部省に出仕。書をよくし、書道奨励会会頭をつとめた。
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野村 靖
【
のむら やすし
】
天保13年〜明治42年(1842〜1909)
幕末の長州藩下級武士、明治時代の政治家。萩生まれ。名は靖。通称は和作。松下村塾に学んで尊王攘夷運動に加わり、四境戦争(幕長戦争)に活躍。明治維新後は神奈川県令などを経て内務大臣・逓信大臣を歴任した。
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林 子平
【
はやし しへい
】
元文3年〜寛政5年(1738〜1793)
江戸時代後期の経世思想家。江戸生まれ。海外事情に通じ、ロシアの脅威について論ずる『海国兵談』を著したが、幕府はみだりに国防を論じたとして発禁処分とした。「寛政の三奇人」の一人。
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土方 久元
【
ひじかた ひさもと
】
天保4年〜大正7年(1833〜1918)
幕末の土佐藩士、明治時代の政治家。土佐国土佐郡秦泉寺村(高知市)生まれ。名は久元。通称は楠左衛門。土佐勤王党に参加。三条実美の信任を得、七卿落ち後、薩長連合実現に尽力。明治政府で農商務大臣、宮内大臣などを歴任した。
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藤田 幽谷
【
ふじた ゆうこく
】
安永3年〜文政9年(1774〜1826)
江戸時代後期の水戸学派の儒者。水戸生まれ。通称は与介。号は幽谷。水戸藩士に登用されて彰考館総裁に昇進。子の東湖をはじめ会沢正志斎・豊田天功らの門人は、後期水戸学派の中心となった。
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松方 正義
【
まつかた まさよし
】
天保6年〜大正13年(1835〜1924)
幕末の薩摩藩士、明治時代の政治家。鹿児島生まれ。倒幕運動に参加。明治政府では「松方財政」と呼ばれる強力なデフレ政策を推進し、日本銀行設立に尽力した。初代の大蔵大臣を経て、内閣総理大臣となった。
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皆川 淇園
【
みながわ きえん
】
享保19年〜文化4年(1734〜1807)
江戸時代後期の儒者。京都生まれ。名は愿。号は淇園。「開物学」と称する独自の経学を樹立したが、著書『易原』がきわめて難解なため、当時「怪物学」と評された。門下3000人余を集めたという。
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毛利 登人
【
もうり のぼる
】
文政4年〜元治元年(1821〜1864)
幕末の長州藩士。萩生まれ。名は武。通称は登人。号は有所。藩主小姓役から藩政中枢に昇進し、京都で諸藩の尊攘派と交わった。禁門の変後、恭順派政府により処刑された「甲子殉難十一烈士」の一人。
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山県 有朋
【
やまがた ありとも
】
天保9年〜大正11年(1838〜1922)
幕末の長州藩下級武士、明治・大正時代の軍人・政治家。萩生まれ。名は有朋。通称は小助・狂介。松下村塾に学び、奇兵隊を率い戊辰戦争に活躍。明治政府で近代軍制を確立し、内務大臣を経て内閣総理大臣となった。元帥・陸軍大将。
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山県 伊三郎
【
やまがた いさぶろう
】
安政4年〜昭和2年(1857〜1927)
明治・大正時代の政治家。萩生まれ。山県有朋の養嗣子。ドイツ駐在公使館勤務を経て太政官に入り、徳島県知事となった。内務省地方局長、総務長官・次官を歴任して逓信大臣となり、貴族院議員に勅選された。
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山田 顕義
【
やまだ あきよし
】
弘化元年〜明治25年(1844〜1892)
幕末の長州藩士、明治時代の政治家。名は顕義。通称は市之允。松下村塾に学び、四境戦争(幕長戦争)や箱館戦争に活躍。明治18年(1885)初代の司法大臣となった。現在の日本大学、国学院大学の創設にも携わった。
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吉田 松陰
【
よしだ しょういん
】
天保元年〜安政6年(1830〜1859)
幕末の長州藩士、兵学者。萩生まれ。名は矩方。通称は寅次郎。号は松陰・二十一回猛士。米国への密航に失敗後、萩で松下村塾を主宰し、志ある若者を育てた。安政の大獄により江戸で処刑された。
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頼 山陽
【
らい さんよう
】
安永9年〜天保3年(1780〜1832)
江戸時代後期の儒者。大坂生まれ。名は襄。号は山陽。京都で梁川星巌らと交流。漢詩人・史論家としても有名で、著書『日本外史』『日本政記』は幕末の尊王攘夷運動に影響を与えた。
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