(5)約1650万年前、日本海で最初に堆積した地層とその中に入り込んだ斑れい岩とその熱で焼かれた地層-須佐湾
萩の大地の成り立ち
日本海の拡大がほぼ終わった約1650万年前、洪水などによって日本海に運ばれた土砂のうち、礫は河口や浅い海に堆積し、砂や泥は大陸棚に運ばれました。泥は波の影響を受けない大陸棚の外側に堆積し、暴風時、沿岸に打ち寄せた波が海底に沿って沖へ戻るときに砂を運び、泥の上にその砂が堆積しました。泥岩(黒い縞)と砂岩(白い縞)の層が一組でき、これを繰り返して黒と白の縞が繰り返す地層ができました。
このような地層を現在の須佐地域の高山で見ることができます(須佐層群)。
須佐層群からは、今のアオウミガメの祖先にあたる貴重なカメの化石などが発見されています。
その後、約1600万年前頃から火山の活動が始まりました。まず、玄武岩マグマが海底に噴き出し、海底火山を作りました。
現在、須佐の高山近くに見られる「山島」などの島々は、このとき噴火した火山と考えられています。

約1500万年前には、地層の中に「山島」などと同じ化学組成のマグマが入り込み(高山斑れい岩)、その周辺の須佐層群の地層がマグマの熱で焼かれて(接触変成作用)、もとの岩石とは全く性質の異なる岩石(ホルンフェルス)になりました。
畳岩からマグマが地層に入り込んだ部分にかけての「須佐ホルンフェルス」として知られる約600mの範囲では、マグマの熱による接触変成のいろいろな現象や様々なホルンフェルスを観察することができます。
